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東京散歩ウォーキング
東京の公園、庭園、そして散歩道を歩いていきます! 良いところをご紹介したいですね!
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今日は九十九里方面へ2
今日は九十九里方面へ2

さてそれから大網街道を、大網白里方面に向かいます。
大網街道は、昔は結構流行っていたようですが、
今は車の台数が減っているんでしょうね。
たぶん沿線の人口自体は増えていると思うけど、
高速道路網の発達とかで、街道を通らずに海に出られるようになり、
街道沿いには、空店舗が目立つ。

コンビニあとや、食堂の跡地。
そこには店舗だけが残っていて、明らかに後釜の店が入っていない。
つぶれた店が多い感じでした。
夏になれば、海に行く人が多いはずですが、不思議な雰囲気です。

大網街道を真っ直ぐ行くと、そのまま海まで一直線です。
海では、なにやら新しいスポーツをしている人がいました。
それは、ただのサーフィンですが、
両手には大型のタコ、つまりは大型のスポーツカイトを持って、
そのカイトの推進力で、前後左右に動くというものです。
これは陸上でも可能で、ドイツ人ぽい外人さんが、
スケートボードにのって、スポーツカイトを持ってました。
これも、砂浜の上を、あちこちに動いていて楽しそうでしたよ。

それから海沿いに南に進みます。
九十九里海岸の道路は、実際には海から少し離れているので、
海は見えませんが、防風林が良く見えます(笑い)。
のんびり南へ。

そして変な地名の場所に到着しました。
東浪見です。



今日は九十九里海岸へ!・・1
今日は九十九里方面へ

今日は蘇我から、鎌取、誉田へのルートで行きました。
まずは誉田を通過しようとすると、
10年ほど前の記憶が蘇えります。

そうです、誉田には、明治大学の誉田寮があるのです。
寮と言っても、実際は、セミナーハウスというか、
合宿所なのですが、
広大な農場と、宿泊施設があったはずです。

当時は、大学2年生で、
大学のサークルの合宿を行い、
勉強やソフトボールなどをやりに来た記憶があります。

その時に実は一番おどろいたのは、
誉田寮の入口から中に入っていくと、
一番最初に目に付いたのが、
なんと旧式の本田ライフ・・。
え、まだ旧式があったの?

そうは言っても、10年ほど前だから、
まだまだ旧式ライフと言っても、
あるところにはあったはずですが、
当時で25年ほど経って居たかなあ?
まだライフが軽自動車ではない時代で、
確か排気量は800ccくらいだったと思いますが、
今の軽自動車よりも明らかに小さくて、
ボンネットがまさに旧式・・・。
lifeの文字も懐かしい雰囲気でした。

さて、そんな明治大学誉田寮の入口がいよいよ近づいてきます。
しかし・・・。
入口狭い!
狭~い!
車1台分しかないよ。
ゆえに、そのままスルーしてしまいました。

入口が広ければ、少し奥の方まで、さりげなく突撃して、
中の様子を見てみたかったのですが、
すれ違いが出来ないほど細い入口なので、
勇気が出ず・・。
明治大学誉田寮さよおなら~。


亥鼻城千葉城7
亥鼻城千葉城7
それから、搦め手とはいいませんが、少し外れた方の門の方に向かい、
そこから道路に降りることにしました。
最初に上がって来た道からは、左奥の方に進む道ですが、
こちらの方は、大手門に比べても、
凄く山が深くなっています。

本千葉駅の近くの、千葉県庁の直ぐ近くなのに、
こんなに”山々”しているなんて、凄いですね。
昼休みに散策にきても良いかもしれない。

それから、奥のほうには、何故か850年記念とか、
千葉城が開かれた記念の祠が沢山ありました。
さきほども800年記念を満たし、
この亥鼻公園には、何故かそういう○○年記念が多いです。
何故だろう?不思議・・。
他ではあまり見ないので、珍しいですね。

それからさらに進むと、曲輪のように張り出した郭があります。
三の丸とかかなあ?
そこに、千葉城ではなく亥鼻城の城跡の祠が何故かありました。
もしかすると、天守閣があったのは、千葉城らしき郷土博物館のある場所ではなく、
こっちの亥鼻城の裏山なのかなあ?
こちらの方が小さいけど、こちらが千葉氏の亥鼻城であり、
その天守閣なのかなあ?
いろいろと疑問が沸いて来ますねえ。

そこからゆっくりと平地の道路に下りてから、帰りました。
このあたりは、何故か建物も古いものが多く、
新しい県庁周辺の建物と比べると、
そのコントラストが微妙に歴史を感じさせます。
千葉は大いなる田舎ということだろうか?





千葉城亥鼻城6中国人のマナーが・・・。

そんなこんなで千葉城にある郷土博物館を見終わると、
今度は亥鼻城の城跡めぐり・・・。
城郭の様子を観察します。

天守閣が模造であるので、こちらの方が楽しみです。
今はアジサイの季節なので、
青と紫の(特に青の)アジサイが結構咲いています。
いい感じです。

そして少し散策すると、周辺にいた謎の中国人があやしげな行動を取り始めました。
そこは、ただの城郭公園の一角で、
普通に人々があるく花壇のはしっこ。
ただ水路があるので、水路の金属の網を、かぶせてありました。

その上で、なんと、3歳くらいの女の子がいて、
そのおじいちゃんらしきが、
孫の要望に負うじてか、
パンツを下ろして、おしっこをさせはじめました。

おーいい。ここ公園の平地ですけど。
花壇の横の、普通の道だよ。
みんな歩いているよ!
犬じゃないんだから、
お尻出して、そのまま小便をさせるなんて、
マナーがめちゃくちゃだね。
中国と一緒にしているのか?
それとも犬がして良いのなら、子供もいいでしょ!
その位の感覚なのか?

まあ日本人も気を付けてもらわないと、中国人は凄いことやり始めるから、
本当にお互いマナーだけは気をつけましょう。
そんなショックを受けました。



千葉城亥鼻城5

それから、郷土博物館の2階、1階へと降りていく。
2階は、何かよろいかぶとが沢山あった。
特に記憶が薄いですね。
それから、1階は、千葉市の歴史変遷と説明です。

まあいろんなことが書いてあって勉強になりますね。
千葉村は、江戸時代には、わずか1万人以下の街であり、
1889年の明治の市町村制が導入された時にも、
まだようやく人口1万人程度の町であったこと。
(ちなみに、今の都道府県庁所在地は、ほとんどが明治に市町村制度導入時に既に”市”に昇格していた)

千葉市は1921年に市になったけど、
そういえば、何故かこの21年と言う年だけは知っていたなあ。
頭の中の記憶にありました。
当時は人口4万人程度・・。
市町村の人口を覚えるのが趣味の私としても、
何でこんな千葉市の市制制度導入年に関する記憶があったのか、
凄く不思議だけど・・。

千葉市といえば、
昭和45年には、まだ人口50万前後で、
とても政令都市を狙える都市ではなかったが、
まあそもそも近隣都市を合併し始めたのが遅く、
小さな都市だったからだろうね。

横浜みたいにどんどん合併して、
船橋とか市川も合併すれば、
一気に200万人都市にもなって名古屋を抜くかあ?
まあいいけど。

あと、奈良屋とか、扇屋などの百貨店のこと、
千葉駅が、市役所センターとか栄町の方にあったこと、
蘇我町や土気町を合併したこと、
などいろんなことが展示され説明されていた。
まあ千葉城と言っても、ただの普通の博物館だから、
普通に楽しかった。


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